【随筆】 出雲 稲佐の浜 

出雲大社から西に1㎞ほどの所にあり、旧暦の10月10日には全国から八百万の神々が上陸すると伝えられています。

また、国譲り、国引きの神話の舞台として知られています。

そして、浜には弁天島という岩があります。

国譲りの神話

昔、高天原たかまがはら(天上の神々の国)を治めていた天照大神あまてらすおおみかみが、「葦原中国あしはらのなかつくには我が子が統治すべき」(出雲の国、うちの子に任せるべきや!)といい

大国主大神おおくにぬしのおおかみが治める出雲の国へ、天菩比命あめのほひのみことを遣わせました。

ところが、アメノホヒはオオクニヌシの家来となり3年たっても高天原に戻って来ませんでした。

アマテラスは次に天若日子あめのわかひこを遣わせましたが、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘、下照比売したてるひめに心を奪われ結婚し御殿を建てて住みついてしまいました。(♩こ~い しちゃったんだ~) そして、8年たっても帰ってきませんでした。

アマテラスは(二人ともどうしたんや!ということで)様子を見てくるよう鳴女なきめと呼ばれるキジを送りましたが、アメノワカヒコに矢を打たれて殺されてしまいます。

そしてその矢は高天原まで飛んでいき、アマテラスと高御産巣日神たかみむすびのかみのところへ届くのです。

血の付いた矢を見てタカミムスビが、「もしアメノワカヒコがよこしまな心を持ち打ったのなら、この矢はアメノワカヒコに刺さるだろう」と言って投げ返すと、なんとその矢がアメノワカヒコの胸に刺さり死んでしまいます。

使者が誰も帰って来ないので、アマテラスは力自慢の建御雷神たけみかづちのかみを遣わせました。(何で誰も帰って来ないんや~!こうなったら武力…。)

船の神、天鳥船神あめのとりふねのかみに乗り伊那佐の小浜[現在の稲佐の浜]に降り立つと、剣を抜き逆さまにして柄を下に突き立てて、剣の切っ先の上に胡坐あぐらを組み座りました。そして、アマテラスの命で来たことをオオクニヌシに伝えます。

つまり、剣のめっちゃ尖ってる方の上で胡坐かいてるけど刺さんないんだよ、すごいでしょ。どーん!!うちのボスがこの国譲ってって言ってるんだけど、どう?もちろんいいよね(^-^)ってことです

オオクニヌシは「私の一存ではお答えできません」と息子に委ねます。

息子の事代主神ことしろぬしのかみは、アマテラスの子に譲ると言いましたが(割と即決でのお譲り)、もう一人の息子の建御名方神たけみなかたのかみが「この国が欲しいのなら力比べだ!」とタケミカヅチに挑みます。

しかし、敵わぬ相手だと逃げ出します。

信濃の国[現在の長野県]の諏訪湖あたりで追い詰められてしまい、「国はお譲りします。私は諏訪の地から出ませんので命だけはお助けを。」と降伏します。(タケミカヅチがめっちゃ強くて割と即決で逃げに転じる)

息子たちからの承諾をオオクニヌシに伝えると「全てお譲りします。その代わり、私に立派な神殿を建ててください。」と言い、交渉に応じました。(この話が行われたのが、稲佐の浜の少し先にある屏風岩の所だと言われています。)

こうして建てられたのが、出雲大社です。

※天照大神は、日本神話に登場する太陽神と皇祖神の二つの性格をもつ女神と解釈されています。

緑字部分は、わかりやすく、楽しんでもらえたらという思いで書いていますのでご承知ください!笑

オオクニヌシの息子たち

事代主神ことしろぬしのかみは出雲の美保神社に祀られ、全国各地にえびす様としても祀られています。

建御名方神たけみなかたのかみは狩猟と農耕の大明神として諏訪大社に祀られています。

弁天

岩なのに島?岩だけど島?

かつては、浜がもっと手前にあり海の中にある1つの島で沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。

岩の上に小さなほこらがあり弁財天が祀られていましたが、明治時代から海や水の女神の豊玉毘古命とよたまひこのみことが祀られています。

美しい景色

稲佐の浜は、日本の渚百選に選ばれています!

朝、昼、夕方、夜それぞれ違う美しさがあり、どの時間に行っても良いです✨

オススメなのは、夕日が沈む頃です。

白湯*が行った時は、17時ごろ到着して18時半ごろまでいました!

スマホのカメラでこんな感じなので、一眼レフならもっと素敵に撮れると思います✨

駐車場があり車でも来られるので、夕日を見に来ている人結構いました!

トイレもあるので安心です(*^-^*)

機会があったら、稲佐の浜で夕日に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか?

 

それでは、このへんで♪

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